2024年04月18日
16年ぶりの今帰仁ミャークニー大会
3月18日に開かれた「今帰仁ミャークニー大会実行委員会」では、8月31日、9月1日に開催予定の「今帰仁村祭」の中で、8月31日の17時から希望すると決まったことが伝わってきた。
会議の議事録が後で作られたので、そのことを最近文書で知った。
8月31日に今帰仁ミャークニー大会が開催されることになったわけだ。
最後に行われた大会は2006年だから、実に18年ぶりの開催ということになる。
2006年の演目を見てみると、参加者の年齢層の幅が広がったこと。13歳から92歳までの幅がある。
そして今帰仁以外や他府県からの参加も増えている。
さらに二揚ミャークニーが影を潜めてしまったことである。これはとても残念だ。
本部ミャークニー、あるいは中南部のナークニーに今帰仁の情景を乗せて唄うことはとても意義深いものであるが、二揚が少なくなる、または消滅するというのは望むことではない。
一方で酒井正子さんの講演では、今帰仁ミャークニーの特徴と、生活との深い結びつきが具体例と共に示されたことである。
研究は深化したが、実際には生活から離れてしまっていく今帰仁ミャークニーの皮肉な実態も、私たちは目の当たりにするのである。
記録に残る最初の大会。
1982年(昭和57年)だ。
村民は「今帰仁ミャークニーを残しておかなければいずれ消滅してしまう」という危機感があった。
▲その2年後、1984年の大会パンフレット。
そして、しばらく大会は開かれない。
「また大会を開いてほしい」という村民の声に2001年からまたしばらく大会が開かれていく。
そして最後に2006年の大会が開催されるのである。
大会に表れた今帰仁ミャークニーの変化は、今帰仁の字毎にあった独特のミャークニーや二揚ミャークニーが消えていっている、ということを如実に表していた。
それから16年経って開かれる今年の8月31日の大会は果たしてどのような様相になるのだろうか。
私は参加者の一人として、しっかりと見つめたいと思う。
会議の議事録が後で作られたので、そのことを最近文書で知った。
8月31日に今帰仁ミャークニー大会が開催されることになったわけだ。
最後に行われた大会は2006年だから、実に18年ぶりの開催ということになる。
2006年の演目を見てみると、参加者の年齢層の幅が広がったこと。13歳から92歳までの幅がある。
そして今帰仁以外や他府県からの参加も増えている。
さらに二揚ミャークニーが影を潜めてしまったことである。これはとても残念だ。
本部ミャークニー、あるいは中南部のナークニーに今帰仁の情景を乗せて唄うことはとても意義深いものであるが、二揚が少なくなる、または消滅するというのは望むことではない。
一方で酒井正子さんの講演では、今帰仁ミャークニーの特徴と、生活との深い結びつきが具体例と共に示されたことである。
研究は深化したが、実際には生活から離れてしまっていく今帰仁ミャークニーの皮肉な実態も、私たちは目の当たりにするのである。
記録に残る最初の大会。
1982年(昭和57年)だ。
村民は「今帰仁ミャークニーを残しておかなければいずれ消滅してしまう」という危機感があった。
▲その2年後、1984年の大会パンフレット。
そして、しばらく大会は開かれない。
「また大会を開いてほしい」という村民の声に2001年からまたしばらく大会が開かれていく。
そして最後に2006年の大会が開催されるのである。
大会に表れた今帰仁ミャークニーの変化は、今帰仁の字毎にあった独特のミャークニーや二揚ミャークニーが消えていっている、ということを如実に表していた。
それから16年経って開かれる今年の8月31日の大会は果たしてどのような様相になるのだろうか。
私は参加者の一人として、しっかりと見つめたいと思う。