2024年02月28日

今帰仁の旅を振り返る

今帰仁の旅は2月4日に始まり19日までの15日間だった。

多くの出会いがあり、新たな発見もあった。
何より「今帰仁ミャークニー大会の実行委員会を作る」というところまで漕ぎ着けたのである。

ここでまとめておきたい。

今帰仁の旅を振り返る

まずは内間悦子さんとの交流。
今帰仁村で八重山古典野村流と八重山古典民謡の三線教室を主宰されている。

平良正男さんと二揚ミャークニーを唄っておられた方としてお会いしたが、トゥバラーマの本島大会で優勝されたこともある。
「トゥバラーマもいろんな唄い方、歌詞があって、最初から最後まで退屈しない。」

今帰仁ミャークニー大会もそうあるといいですね、とお話しが盛り上がった。

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与那嶺直樹さん。琉球古典野村流を教えられ与那嶺直樹三線教室を主宰する。

今帰仁ミャークニー大会にも20年前から二回参加されて今帰仁ミャークニーを唄われている。

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今帰仁村の古民家で子供たちにも歌三線を教えられている。

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今帰仁村の副村長との面談にもご一緒してくださった。

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東京の方だが今帰仁村にもお住まいの鈴木一浩さんは今帰仁村のことを詳しく調べられている。

「しまくとぅばと遊ぼう」というサークルにも参加されていて、私も誘っていただいた。そこで今帰仁ミャークニーを唄ったら、年配のご婦人が「懐かしい」と言ってくださった。
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鈴木さんは今回、地元の方もあまり知らない今帰仁ミャークニーの歌碑を教えてくださった。また他の色々な村井戸(ムラガー)の案内も。

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この歌碑のことについても、また今帰仁ミャークニーなどにも詳しい見解を聞かせていただいたのは上運天の区長もされている座間味晃さん。こちらも琉球古典の先生。

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今回今帰仁村での全てのことでお世話になったのは平良正男さん、平良哲男さんの御遺族の皆さん。
哲男さんのご兄弟の正利さんと正也さんだ。

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正利さん。

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正也さんには、宿の紹介や釣竿までお借りした。
この方々抜きではこんなに広く今帰仁村の方々との交流や行動はできなかった。

不思議な突然の出会いはまだまだある。

湧川から私に会いに来てくれて、あちこちの案内をしてくださった嘉陽崇さん。
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湧川は今帰仁村の一つの字ではあるが、羽地内海を挟んで屋我地島との交流が昔からあり、また隣の名護市羽地との交流などで、今帰仁ミャークニーのウタもあるが、ヨーテー節も盛んな地域。

それらの歌詞をめぐるフィールドワークも同行してくださった。また湧川の芸能保存会の交流会にも参加させていただいた。
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また今度は不思議なことに屋我地で行われたヨーテー節の交流会を主催された玉城健雄さん(下の写真左)が資料を持って会いに来てくださった。
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そのつながりで名護市の島袋昌也さんの研究所にお邪魔した。

ヨーテー節もだんだん唄う方が減り、「大会」とするより「交流会」とした経緯がある。そして今継続が難しいと玉城健雄さんが教えてくれた。

今帰仁ミャークニー大会も充分検討しなくてはならない課題だ。

長くなった。
また続きを。




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