2024年03月14日

ヨーテー節と湧川ヨーテー節

今回の旅で良かったことを挙げればいくつもあるが、人との出会い、しかも予想もしなかった出会いがいくつもあったことだ。

余談だが、今帰仁に着いた日が偶然、平良正男さんの御命日で3回忌の法事の日だった。そんなことも知らずに飛行機を予約している自分にも驚くが、前回12月の今帰仁訪問した日もまたまた偶然にも平良哲男さんの御命日だった。

ご遺族の方が「よほど関さんは、二人(正男さんと哲男さん)に引っ張られれてるさ(笑)」と笑っておられた。

浄土宗のお坊さんがお経を上げる間、正男さんの今帰仁ミャークニーがテープで流れていた。わざと鳴らしているのだ。お坊さんは何も言わずにお経をあげられていたが、どうお感じになっただろうか。

皆さんで今帰仁ミャークニーの資料映像などを見ている時にある人物が現れる。

湧川の区長や議員も経験したという海人の嘉陽崇さん。私に会いたいと駆けつけてくれた。

ヨーテー節と湧川ヨーテー節

彼には湧川のあちこちを案内してもらい、また湧川の文化保存会の交流会にも参加させてもらい、新しい繋がりも得ることができた。

彼からもらった「ヨーテー節」は「湧川節」ともいって貴重なものだ。

ヨーテー節と湧川ヨーテー節

ヨーテー節と湧川ヨーテー節

一方、私に直接連絡をしてきた方がいる。

ヨーテー節と湧川ヨーテー節

名護市の職員の玉城健雄さん。
この方は屋我地島で「ヨーテー節」の交流会を開かれた方だった。

ヨーテー節と湧川ヨーテー節

しかし継続が難しいと言われていた。確かにそうだろう。与那国島の人々のような地道な取り組みが必要になる。

ヨーテー節と湧川ヨーテー節
そして彼からも屋我地島で唄われているヨーテー節の歌詞をいただいた。

重なる部分が多いことに気づく。

ヨーテー節と湧川ヨーテー節

屋我地島と今帰仁村湧川の地域の関係は地図を見るとよくわかる。

羽地内海を挟んで屋我地島から湧川へ薪を取りに行く、モーアシビが開かれた屋我地の我部。舟を出したり、干潮なら歩いて渡れる場所もあった。

仕上世(シノボセ)米を積み出す港が那覇・運天・湖辺底・勘定納(勘手納)にあった。仕上世米とは薩摩藩が琉球に課した米の租税である。

その勘定納がこの羽地内海にあったということは琉球各地からの船乗りや荷役の労働者が集まった場所である。

ヨーテー節がその時代のことを唄いモーアシビや恋路のために盛んに行き来した人々の思いが詰まったウタであることがよくわかる。

今回の今帰仁ミャークニーをめぐる旅は当然のことだが、その成り立ちと密接に関わるだろうヨーテー節にも詳しく触れる旅となった。








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