2024年12月26日

首里の夜半参御嶽

以前にも取り上げた話なのだが、「夜半参り」を取り上げた歌詞が今帰仁ミャークニーにもあり、屋我地島や今帰仁村湧川でよく唄われていた「ヨーテー節」にもある。このウタだ。

遊びする屋我地 恋路する湧川
夜半参ぬ立ちゅる 天底門口

(歌意)
モーアシビが行われた屋我地島 
そこで知り合いデートしたのは湧川
会えなくなり夜半参に立った天底の入り口

首里の夜半参御嶽

私は今帰仁村の天底によく宿泊するので、朝散歩にその「天底門口」(あみすじょーぐち)を探してみた。

首里の夜半参御嶽

天底のある場所にあった拝所。
ここで夜半参が行われたかどうか確証はない。
ただ「天底毘沙門大主」と名付けられたこの場所はうっそうと繁るクバなどで容易には見つからない。

夜半参(やはんめー)は女性の側から会いたいが事情で会えない男性との逢瀬を神仏に命をかけて祈るものだった。

八重山民謡の「月ぬマピローマ」や、この「ヨーテー節」に登場する。その名を冠した歌劇もある。

月ぬマピローマ

月に願立てぃてい 星に夜半参り 思いすとぅ我んとぅ 行逢しゆ給り 
(歌意)月に願立てて星に夜半参り 思う人と私と出会わせてください

思いすとぅ我んとぅ 行逢さんどぅあらば あたら我が命 とぅらばちゃすが 
(歌意)思う人と私と出会わせないのであれば 大事な私の命取ればいかが


さて、もう一つ「夜半参」が行われた場所がある。
2024年12/13〜18の旅で訪れた。

首里の末吉公園内だ。ここには末吉宮があり、沖縄戦で焼失したが戦後再建されている。



夜半参御嶽(やはんめーうたき)と呼ばれたのは、この末吉宮そのものではなく周囲にある御嶽らしい。

夜半参御嶽そのものは確認できなかった。

首里の夜半参御嶽
参道入り口の看板には

「周辺はイベ、拝所が多く、古くから一大聖地を形成し、霊場として朝野の信仰をあつめてきた様子が偲ばれる。
〔王の御参詣〕 正月・五月・九月十二月 (宮籠り)
代理社参元旦、正月十五日
〔御神徳〕 国家守護・国泰民安・五穀豊穣
一般には子方の神事始の神)、学業・技芸成就
縁結び(ヤハンメー)、子孫繁栄の神として親しまれる」


と「縁結び(ヤハンメー)」と書かれている。

末吉宮に行くまでの道(大名参道から)は二つに分かれていて「子ぬ方入り口」という方向に行くといくつかの御嶽があった。

首里の夜半参御嶽

首里の夜半参御嶽

次回は夜半参御嶽を確認したい。



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