2021年05月10日

桜島と富士山と上り口説

宮崎に帰省してきたが、一人暮らしの母親がどうしても気になっての「急用」帰省だった。

行き帰りは広島から鹿児島中央まで新幹線と鹿児島から宮崎まで特急で、と思ったら行きの途中で日豊本線が倒竹で不通となり、代行バスに乗る羽目に。ついてない。。。

桜島と富士山と上り口説


都城で「焼酎霧島」の本社の前を通ったりしたのでまあ収穫はあった、と慰める。

桜島と富士山と上り口説

行き帰りに見える桜島。
先日は大きな噴火があったそうだが今は静か。


燃ゆる煙や硫黄が島 
佐多の岬に走い並で(エーイ) 
あれに見ゆるは御開聞 
富士に見まがふ桜島


約300年ほど前、琉球から薩摩に向かった船から見えた景色をウタにしてある。

桜島が、富士山に見間違えるほどだったという。

「上り口説」は、屋嘉比朝寄の作だというが私はまだその根拠となるものを拝見したことがない。

仮に屋嘉比朝寄の作とすると、彼が三線を習いだしたのは眼病にかかり盲目となった後だから、この上り口説もまたその頃だ。

屋嘉比朝寄は若い頃何度も薩摩に渡った。
そこで能の謡曲や仕舞を学んだ。
「帰国後は、専ら謡曲の師として王家に仕え、謡曲と舞踊の普及に努めていた」(Wikipedia)という。

薩摩富士と呼ばれるのは開聞岳だ。
桜島と富士山と上り口説
(Wikipediaより)

桜島は上部が噴火によってかなり削られた形になっていて、開聞岳の方が似てはいる。

しかし桜島だって、地元では「筑紫富士」とも呼ばれている。

薩摩藩に実質的に支配されて、留学していた屋嘉比朝寄が「富士に見紛う」と桜島を形容しても不思議ではない。今でいう「忖度」と言えるのかもしれない。





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