2019年04月18日

塩の話 2

シマウタと塩田

ゆいレールで那覇空港から赤嶺駅を過ぎて小禄駅に入る手前で車内に流れる軽快なメロディーが「三村踊り節」だ。「取納奉行節」と同じメロディー。

その歌詞の二番に、

♪上泊 泊 元の泊と三村
三村のニ才達がすりとーて塩炊き話
雨降らすなよ 元かんじゅんど ♪


(大意)上泊 泊 元の泊という三つの村があるが、その三つの村の青年達が揃って塩炊き話をしている 雨を降らすなよ 元が取れず損をするぞ

こんな歌詞がある。

今の泊あたりにあった三つの村には塩田があった。その塩を煮詰める作業(マースダチ)をしながら話をしている若者たち。どんな話だったのか。塩炊きの方法だったのか、または関心がある異性についての話題だったのか。

のどかな風景だが、雨が降ったら塩田に真水が入って、せっかく濃くなった塩水が駄目になってしまう。それを戒めている。


与根という村も塩田が盛んだった。今は「ヨネマース」(与根の塩)というネーミングで沖縄では人気商品だ。那覇空港から瀬長島を挟んですこし南側の海岸にある豊見城市の町。

その村に伝わるウタ。どんな曲に乗せたかははわからない。ナークニーかもしれない。

雨の降ら降らや天模様ぬ変わて
与根の塩焚きがさなじぬがち


(大意)雨が降りそうな天模様に変わると
与根の塩焚きをする者たちは慌てて褌(ふんどし)もはずして


どのウタもユーモアを感じる。雨の中で何かの作業のために「ふんどしを脱いだ」のだろう。必死なのだ。

塩の話  2

琉球での塩田の様子が描かれている。絵の左上のあたりにふんどし姿で作業をしている男たち。少し高くなったところに盛り土のようなものがある。そこが「かん水(濃度の濃い塩水)」を集める所だ。

前回の「塩の話」で書いた「入浜式塩田」だ。

19世紀頃に描かれた「琉球交易港図屏風」と名付けられた絵図の一部にある。

潟原(かたばる)という村は現在の那覇市前島にあった。塩を引き込んだ「田」の部分は、本土の塩田とは違い珊瑚の干潟を利用した。

珊瑚は水を浄化し、カルシウムを多く排出する。それで作った塩にもカルシウムが多く含まれている。

現在でも前島には「泊塩田之跡碑」がある。

塩の話  2

泡瀬の塩田の写真も残っている。(那覇市歴史博物館)

塩の話  2

下の写真は泡瀬塩田で働く人々の写真。

塩の話  2
(沖縄県公文書館より)

明治以後の写真なので、さすがにサナジスガイ(ふんどし姿)は見当たらないけれど、かなり重い塩を運ぶという重労働の様子がわかる。

泡瀬では
「1日2220㎏の製造実績を記録し、6500俵の塩を製造した。県下一の生産高を誇り、1937年には、塩田面積17.2ha、塩の収納数量1208tとなり、1972年の製造中止まで沖縄の産業を牽引した。」

(沖縄大百科事典より)

だんだん沖縄の塩の姿が見えてきた。

次回は琉球料理と塩との関係をみてみよう。







同じカテゴリー(島唄コラム)の記事
今年最後の満月
今年最後の満月(2019-12-13 05:47)

色と沖縄
色と沖縄(2018-04-06 07:14)

唄うこと書くこと
唄うこと書くこと(2017-06-29 08:03)

蹴りにくい潮
蹴りにくい潮(2016-12-23 15:13)


※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。