こんな時代が
去年11月、三線製作者協同組合主催の「三線大学」で作った三線。まだ沖縄への旅が問題なくできた頃と付け加えておこう。
江戸与那城型の三線が欲しくて、少し値段はアップしたけれど、それに最後の仕上げに苦労したのだけれど、欲しい三線が生まれた。
沖縄では木を削り仕上げて完成することを「ゆーんまりとーん」(良く生まれている)という。
音色がこれまで持っていた三線よりも伸びが良く、乾いた感じはあるが、私の少しウエットな声には逆に合うと感じた。
昨日は錦果楼さんでのライブ。
自作の三線で、合計120分歌った。(感染対策のためウタはかなり減らした)
マスクにフェイスシールドをつけた自分の姿を見て
こんな時代になったのか。
改めて感じた。
感染者にならない、感染者を増やさない、そういう配慮をしながら歌い続けるための一時的な「いでたち」と言える。
錦果楼さんは、岩国の錦帯橋近くのお菓子屋さんであり、喫茶店に広い食堂を持つ大型のお土産物屋さん。
換気もよく、広々した喫茶店だからこそ、こんな時期ではあるがオファーを受けた。
全国の感染者数も増えている。沖縄の感染者の人口率を見ると背筋が凍る思いだ。
政府は「感染者が増えても経済を回したい」そう見える。
政府と全国自治体が一体となって感染者の拡大に歯止めを打てるように施策をださなければ沖縄には負担が押しつけられるばかりだ。
世の中の流れには不満を持ちつつも、こんなスタイルで歌っていこう。
沖縄にも自由に行けない。いや、行かない、だ。
こんな時代が来るとは夢にも思わなかった。
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