平良さんたちの思いを背負って
ひたすら「残したい」、そんな思いで10年間走ってきた。
やんばるはウタの宝庫だ、その中に今帰仁ミャークニーがある、ナークニーの源流だ、と仲宗根幸市さんが生前に書かれたものを読み、宮古島にも出かけた。タカマサイ公園を何度も訪れた。
そして今帰仁で、平良正男さん、哲男さんたちと出会ったのが8年前。
しかしお二人は他界され、絶望感にさいなまれた時期を乗り越えたのは、多くの人々の応援だった。
今帰仁の方々の応援も、全国の方々からの応援も前に進む力になった。
8月29日に今帰仁村へ到着し、まずはお二人のお墓へ。31日に18年ぶりの今帰仁ミャークニー大会が開かれることを報告。
琉球新報にも記事が。
私の投稿も沖縄タイムスの当日の朝刊に載った。
今回の大会は「今帰仁祭」の一部を借りて行った。
7名の唄い手が登壇。
いずれの方のミャークニーも素晴らしいと感じた。
1番の嘉陽崇さんは「平良正男さんにもらったミャークニーに影響を受けた」と言われていた。
またお父様のミャークニーを聴き、二揚のミャークニーを「アギンジャシ」(歌い出しが高い)で歌われたのは、私の二つ前の長浜政敏さん。
内間悦子さんは、沖縄県指定伝統無形文化財保持者に認定されたばかり。私のケーシ(返し)をしてくださった後に、ご自分のミャークニーを披露してくださった。
わずか1時間の大会、暑さもあって決して多いお客様ではなかったが、それでも真剣に聴いてくださる方々、遠くから見守る人々もおられた。
私は今回の大会は、今帰仁村には「今帰仁ミャークニーあり!」「まだ滅んでいない」と示せた大会ではなかったかと思った。
「良い仕事したね」とある方に言われたときに、私はどんな役割をしたのだろうと少し逡巡した。
ただ、私は素晴らしい今帰仁村のウタを残したいと思って、そのことを言い続けてきただけ。でも諦めかけた時に今帰仁の方々が「やりましょう」と立ち上がってくれたからできたのだと思う。
感謝したい。そして私は今帰仁ミャークニーを唄い続けたい。正男さん、哲男さんたちとご一緒に。
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