平良さんたちの思いを背負って

たるー2

2024年09月02日 09:21

ひたすら「残したい」、そんな思いで10年間走ってきた。

やんばるはウタの宝庫だ、その中に今帰仁ミャークニーがある、ナークニーの源流だ、と仲宗根幸市さんが生前に書かれたものを読み、宮古島にも出かけた。タカマサイ公園を何度も訪れた。

そして今帰仁で、平良正男さん、哲男さんたちと出会ったのが8年前。

しかしお二人は他界され、絶望感にさいなまれた時期を乗り越えたのは、多くの人々の応援だった。

今帰仁の方々の応援も、全国の方々からの応援も前に進む力になった。



8月29日に今帰仁村へ到着し、まずはお二人のお墓へ。31日に18年ぶりの今帰仁ミャークニー大会が開かれることを報告。


琉球新報にも記事が。


私の投稿も沖縄タイムスの当日の朝刊に載った。

今回の大会は「今帰仁祭」の一部を借りて行った。


7名の唄い手が登壇。


いずれの方のミャークニーも素晴らしいと感じた。

1番の嘉陽崇さんは「平良正男さんにもらったミャークニーに影響を受けた」と言われていた。

またお父様のミャークニーを聴き、二揚のミャークニーを「アギンジャシ」(歌い出しが高い)で歌われたのは、私の二つ前の長浜政敏さん。

内間悦子さんは、沖縄県指定伝統無形文化財保持者に認定されたばかり。私のケーシ(返し)をしてくださった後に、ご自分のミャークニーを披露してくださった。

わずか1時間の大会、暑さもあって決して多いお客様ではなかったが、それでも真剣に聴いてくださる方々、遠くから見守る人々もおられた。

私は今回の大会は、今帰仁村には「今帰仁ミャークニーあり!」「まだ滅んでいない」と示せた大会ではなかったかと思った。

「良い仕事したね」とある方に言われたときに、私はどんな役割をしたのだろうと少し逡巡した。

ただ、私は素晴らしい今帰仁村のウタを残したいと思って、そのことを言い続けてきただけ。でも諦めかけた時に今帰仁の方々が「やりましょう」と立ち上がってくれたからできたのだと思う。

感謝したい。そして私は今帰仁ミャークニーを唄い続けたい。正男さん、哲男さんたちとご一緒に。



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