ウタマーイ・歌碑マーイ5 「今帰仁へ」

たるー2

2018年12月24日 12:22

12月7日から10日という短い沖縄への旅を振り返っている。

2日目は内容の濃い日だった。

伊計島からうるま市の大田、北中城の和仁屋をレンタカーで駆け抜けた。

昔の勝連でのモーアシビがとても盛んだったことが「門たんかー」にあらわされているが、その勝連のシマで展開されているモーアシビに和仁屋から潮路や干潟を渡って通っていたことが「伊計離節」(または「勝連節」)からわかる。

「他シマの青年が邪魔をした」から陸路を避けた、という説があるが、いずれにせよ海路(潮路、干潟)を通って行った。





このように一見つながりのないようなウタも時代背景を共通にしていることがあり、その「繋がり」を知ることはウタの理解にとても役立つ、ということになる。

「ウタマーイ、歌碑マーイ」という私のフィールドワークは、一見呑気な観光地巡りのようにも見えるが、背景を調べることで有意義なウタの勉強に繋がると思っている。

ウタのシマを自分の足で歩き自分の目で見ることが「ウタ歌いの肥やし」にならないはずがない。

そんなことを思いながら、早起きして宿をチェックアウトし、北中城から今帰仁を目指す。

今帰仁ミャークニー」の平良哲男さん、平良正男さんたちにお会いするために、だ。

国道58号線を北上して途中恩納村へ。



「谷茶前節の歌碑」
谷茶の集落の南側に新築された歌碑。
2017年3月に除幕式が行われている。歌碑の向こう側に「前の浜」と呼ばれた、このウタに描かれた浜がある。もともと「谷茶前の浜によー」と歌い出されることから、それを略して「谷茶前」と名付けられた。多くの人々に愛されたウタである証拠だ。


生憎の小雨が降る天気。荒れた谷茶の浜だった。

コンビニで買ったカフェラテを飲みながら、今帰仁へ向かう。途中、道の駅に立ち寄りながら雨の今帰仁についた。

いつもお世話になっている平良哲男さん、と今帰仁ミャークニーの平良正男さんが迎えてくださった。

平良哲男さんの奥様が美味しいお昼ご飯をご馳走してくださったり、雨の中だったが平良哲男さんのお車で今帰仁のあちこちを案内してくださった。



私が「崎山クバマ」というウタに「たるーの島唄研究」で触れていることをお知りになり、ここに連れて来てくださった。
(たるーの島唄研究 「崎山くばま」)

12年前にこのウタに触れたのは、今帰仁村出身の島唄研究家である故仲宗根幸市さんの本と出会って、ヤンバルのウタに深い興味をもったからだった。

お願いして今帰仁の闘牛場にも案内していただいた。
平良正男さんはご高齢だが、闘牛が行われるときにはここに通われるのだそうだ。



沖縄県から「しまくとぅば (沖縄語)」の普及に貢献されたということで表彰された平良正男さん。


沖縄タイムスの記事から。

『第6回しまくとぅば県民大会で、県しまくとぅば普及功労者として表彰された平良正男さん(94)がこのほど、村役場を訪れ喜屋武治樹村長に表彰を報告した。 平良さんは村文化協会の「しまくとぅばで遊ぼう会」のメンバー。』


今帰仁ミャークニーの研究もされてこられた平良正男さんのまた別の一面もうかがい知ることができた。

このほかご自身の戦争体験を子供たちに語る平和活動も熱心にされているという。



平良哲男さんに案内された所の話はまた次回にしよう。




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