伝えていく責任

たるー2

2022年07月12日 10:00



広島は梅雨明けしたが、雨混じりの天気が多い。
今日もまたぱらつく。

ゆがふ家の前の月桃の花蕾がついた。
これが垂れ下がると花が出てくる。

一種の南国の自然ショーだと思っている。


 
6年前に偶然お会いした平良正男さん(中央)、平良哲男さん(左)らとの記念写真。

お二人は昨年、一昨年と惜しくも他界されてしまった。このお写真などをご家族に方にお送りしたところ
今日は平良正男さんのお誕生日だったとのこと。
1923年のお生まれなので99歳となる。

平良正男さんの二揚今帰仁ミャークニーを教室でも教えている。

先日の沖縄では、初日に今帰仁のお店で唄わせていただき、翌日は今帰仁教育委員会の方々の前で。
そして「FMぎのわん」でも。

民謡コンクールの会場では古典の大先生や民謡の先生方から「今帰仁ミャークニーの話また聞かせて」「よく頑張ってるね」とお声をかけていただいた。

私の気持ちは、10数年前に仲宗根幸市さんの本で今帰仁ミャークニーのことを知り、それが「ナークニーの源流」だ、と聞いてから興味を持ち続けていたのだった。

6年前の本部ミャークニーの道散策で知り合った元今帰仁民俗資料館館長仲本さんとのご縁で、平良正男さん、平良哲男さんらと知り合うことになった。



そして二揚今帰仁ミャークニーを哲男さんと二人三脚のようにして研究した。

もちろん私は民謡は嘉手苅林次先生に師事をさせていただいている。

林次先生には多くのナークニーを教えて頂き、また林昌先生の個性的で素晴らしいナークニーの手も教えて頂いた。

ナークニーの素晴らしさの根源はどこにあるのだろう。

なぜ人々を魅了するのだろう。

ずっと持ち続けてきた疑問と、二揚今帰仁ミャークニーとの出会が結びついてきた。

二揚ミャークニーは、現在のナークニーの中ではもう滅びつつある。

「下宮古根」とか「宮古ンニー」と呼ばれる曲の中にたまに現れることもあるが主流ではない。

主流ではないが、今帰仁でこのメロディーに多くの歌詞がつけられて恋愛や日常の喜怒哀楽を表現するものとして大切に受け継がれてきたことは事実である。

とすると、ナークニーと二揚ミャークニーを並行して沖縄に残していくことは可能なのではないか。

今回の旅で、今帰仁の唄者の方々、教育委員会や文化協会の方々とお会いして、「今帰仁でも二揚ミャークニーの伝承に動いていきたい」との言葉もいただいた。



また、桜坂市民大学でも「今帰仁ミャークニーの世界」という話をさせて頂いた。

これからも、あちこちで唄い、広め、語っていきたい。

それが私の仕事、責任だと思った。

出版される「たるー本」にも工工四か掲載されるだろう。
本が完成したら、それを持って今帰仁ミャークニーを広げていきたい。

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