今年最後の沖縄 2

たるー2

2017年12月16日 06:54

前回からの続きです。

今帰仁の城 しむないぬ九年母 志慶間乙樽が ぬきゃいはきゃい

なちじんぬぐしく しむないぬくにぶ しじまうとぅだるが ぬちゃいはちゃい
nachijiN nu gushiku shimunai nu kunibu shijima'utudaru ga nuchai hachai
今帰仁のお城で 時期遅れのみかんを志慶間乙樽が糸で貫いたり首にかけたりしている

今帰仁にまつわるウタにはよく出てくるこの琉歌。
今帰仁城の中に歌碑があります。



まだ琉球が統一される前の今帰仁城主の側室で、王妃の子どもと遊んでいる様子だという説もあります。

平良哲男さんのご案内で今帰仁ミャークニーの歌詞にまつわる場所をあちこち巡っていただいていますが、今泊というところにある志慶間川の横に車をつけられました。

前回も載せましたが、その志慶間乙樽のお墓と言われています。



▲暮石には小石がつけられて、名前が刻まれています。


帰り道、イバラの棘に帽子を取られました。
まさか乙樽が呼び止めた訳ではないでしょうが(笑)

夕方、平良哲男さんのお宅の夕食に招かれましたので、一旦宿に戻って再訪しました。



平良哲男さんご夫妻と、平良正也さんと。

奥様の手作りお料理でもてなしていただきました。




20年以上の古酒と、ソーキ汁、粟ご飯。


正也さんが古宇利島近くで採られた島タコは蒸していただきました。旨味があって美味しい!

昼間の疲れと風邪のせいで、早く酔いもまわりましたが、美味しいお料理に感動しました。

今帰仁ミャークニーを平良哲男さんは、あちこちの慰問やイベントでも歌われていると伺いました。

私の工工四も少しお役に立ててるとの事で嬉しく思います。二揚げのミャークニー、しかも今帰仁の風景や人の情けを詠ったミャークニーを私も広島で唄いたいと平良哲男さんにもお話したら、快く了解してくださいました。


平良哲男さんは、二揚げの「今帰仁ミャークニー」を普及するために、工工四を歌いやすく少し編集され、歌詞集や音源も作られています。

私も活用させてもらって普及に貢献できたら、と思います。


今帰仁を見守るように南にそびえる「乙羽岳」(おっぱだけ)。その頂上に連れて行ってくださいました。標高は275メートル。地元では「ウッパヤマ」と呼ぶ山です。北山の乙樽が、王妃の子どもを背負って反乱軍からこの山に逃げたという伝承から「背負う」(うっぱ)の山、ウッパヤマと名付けた山だとも言われています。
(最初「ウッパマ」と書いていましたが、平良さんからご指摘を受けて「ウッパヤマ」だとわかりました。「ウッパマ」は今帰仁のある浜の名前でした。訂正しました)

そして、前からこのウタが気になっていました。

運天ぬ番所 通いぶさあしが 白真大道ぬ ギマぬくささ

うんてぃんぬばんじゅ かゆいぶさあしが じらまうふみちぬ ぎーまぬくささ
'uNtiN nu baNju kayui busa 'ashiga jirama 'uhumichi nu giima nu kusasa
運天の役場に通いたいものだが 白真大道にあるギーマの臭いことよ!

平良哲男さんは、このウッパマに登る車道にこの「ギーマ」があったと言われ、探してくださいました。



ありました。残念ながら花も実も落ちた後でしたが。


平良さん達には大変お世話になりながら、宿に送っていただきました。

翌日は一人で今帰仁散策へ。

また続きます。

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