タンメーの命日にゆがふ家の想い
仕事をしながら三線教室をしていた頃より、三線教室だけで生活をしている今の方が、もちろん時間にはゆとりがある。朝も早く起きる必要はないし、夜更かしもできる。
が、頭と身体はその変化に耐えようとフル回転していたのか「知恵熱」が出たりもする。
時間があると言っても早起きだし、起きれば散歩、店の手入れ、あれこれと考え事が増える。店を開けばそれなりの緊張感が続く。
これは昔からの癖だ。子供の頃から環境の変化は即、体調に出る人間だった。
それとも朝晩の冷え込みで寝冷えしたか。
お陰様で一晩の熱で治ったが、気をつけないといけない。
「たるーの三線 ゆがふ家」9月1日にオープンしてやがて三週間がやって来る。
広島から沖縄の歌三線の素晴らしさを発信する場を作りたい
これがゆがふ家を作った、私の想いだ。
火曜、木曜の公民館での三線教室、隔週土曜日のクレドビル三線教室に加えて昼の三線教室を開いたが、ぼちぼちと人が集まってきている。
これは水曜日の午後に開いている教室の様子。
嘉手苅林次先生のご指導のもとで琉球民謡協会の民謡コンクールを受けて沖縄民謡を勉強しているメンバー達だ。
少数のお稽古は、
三線を無料で体験してもらう、それも私の仕事だと思う。空いてる時間なら三線の音の良さを感じて欲しい。
久しぶりにパステル画を描いてみた。下書きなしだから、意外に思うようには描けなかった。
土曜日に隔週で「初めての三線 お試しコース」という短期型の三線教室を始めた。
こちらもぼちぼち参加者がある。
今日は胤森弘さんの命日だ。胤森さんは方言とウチナーグチの市井の研究者だった。電気屋さんの社長をされながらずっと日本の方言研究をされてきたが、あるとき沖縄の言葉に触れて以来ウチナーグチを研究されていた。
その胤森弘さんの「ウチナーグチ講座」に参加させてもらって、「目から鱗が落ちる」体験を何度もさせてもらった。胤森さんに質問するたびに手紙が送られてきて、さらに詳しい解説があった。
「たるーの島唄まじめな研究」は、そんな胤森さんの研究に触発され、彼のやり方「まず直訳する」を踏まえながら、唄者として少しずつ島唄の意味、背景に迫っていったのだった。
今のゆがふ家では、いつかはこうした
島唄解説の講座もしてみたい、と思っている。
琉球使節の足取りを広島、瀬戸内海で追ってきたことや、今帰仁ミャークニーのことについても講座が開けたら、と夢ばかりが膨らむ。
広島から沖縄の歌三線の素晴らしさを発信する場を作りたい
このゆがふ家にかけた私の想い、少しずつ進められたらと思う。あくまでも無理はしないように、だ。
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