2025年03月27日

楽しみな春到来!



生暖かい朝。散歩を久しぶりに再開。



桜が咲き始めている。

早咲きの桜や、枝垂れ桜、場所によっても開花のタイミングは変わるが、だいたいこの時期だ。

温暖化の影響が気になる。
3月からこんなに暖かいと、夏はどうなるのだろう、と。


まずは花見を楽しみたい。
コロナ禍ではできなかったし、昨年もまだ遠慮していた。

我が三線グループ、世果報会は4月6日を予定している。

楽しみだ。

楽しみといえば、今週末3月30日は、海田小学校と広島駅地下の通称「ヒロチカ」で演奏させてもらう。


▲海田小学校での「海田市祭」、毎年出させてもらっている。11時すぎからの出演。
琉呉太鼓さんの演舞やコラボもある。


▲同じ日の午後14時45分くらいから。
同じく琉呉太鼓さんの演舞、コラボもある。

広島駅ビルのminamoaとしてのオープンも重なって、どんな人手になるのだろうか。



是非、こちらもお楽しみに!  

Posted by たるー2 at 09:36Comments(0)イベント

2025年03月17日

世果報会



私の指導させてもらっている三線教室を「世果報会」(ゆがふかい)と呼ばせてもらっている。

地域の祭や公民館の行事、イベントなどにお呼びがかかると、メンバーの中から5、6名から10数名が参加している。


▲草津公民館での「冬の沖縄音楽コンサート」。


▲3月2日映画「GAMA 月桃の花」海勢頭豊さんコンサートでの一幕にお邪魔した。


▲原爆ドーム前での核兵器禁止条約の批准を求める集まりにも三線を持って。
「月桃」を歌わせてもらった。


先週土曜日は、西区民文化センターでの「高齢者の集い」に招かれて、横川三線教室のメンバー、そして世果報会のメンバーで1時間ほど演奏した。



広島で三線教室を始めてから20年は過ぎた。
多くのメンバーが舞台でも演奏できるようになり、広島で沖縄音楽を広めていくことに少しは貢献できると思っている。

これからもこうした活動を続けていくと同時に、琉球使節の足跡が残る広島の地域と結んだ演奏活動や、広島と沖縄を結ぶ平和の取り組みなどにも関わり続けて行きたい。
  

2025年03月13日

喪失感

Facebookを騙るメールがよくきていた。
無視していたが、ついパスワードを変更した途端に、「関 洋」のアカウントが乗っ取られて、2度とログインできなくなった。

何年Facebookをやってきただろうか。
あっという間に全て消え去った。

「たるーの島唄まじめな研究」本のページや、琉球使節の足跡のページ、三線教室のページもなにもかも。

喪失感というより、あ、人の生き死にってこんなものなのかも、とじわりと感じた。
東日本大震災やすべての災害はこのように全て奪い去っていったのだろう。戦争もしかりだ。

だが私は生きている。
たかだか電子上の出来事。
大震災や戦争などと比較にもならない。

だから、歩みは止めないし、また時間はかかるが再建していこう。むしろワクワク感すら感じる自分を褒めたい。



「Hiroshi Seki」で再スタート。
お気づきの方は「友達申請」してください。
私からの申請があればよろしくお願いします。  

Posted by たるー2 at 08:13Comments(0)島唄

2025年03月10日

3月2日ヒロシマとオキナワを結ぶ



こんなにお客様でいっぱいになるとは、実行委員の誰も想像できなかった。



映画「GAMA 月桃の花」の上映と海勢頭豊さん達のミニコンサートが3月2日に広島YMCA国際文化ホールで行われた。

昨年9月に実行委員会を立ち上げ、広島県教育委員会の後援、広島沖縄県人会が共催することになった。

チラシを広島市や周辺の各公民館に広く置いていただいた。


映画「GAMA 月桃の花」の映画は私の三線教室ではほとんど観た人がいない。

あの「月桃」ですら、この映画の主題歌であることも知らない方が多い。


戦後80年ということ、昨年2024年にノーベル平和賞を被爆者団体協議会が貰ったこともあり、今年は広島でも平和のイベントが多く行われる。

でも、目を向けるとアメリカの核兵器は沖縄をはじめ本土にも広く持ち込まれているという(アメリカは「あるとも無いとも言わない」)。

戦後80年は沖縄も同じ。そして唯一の地上戦があの美しい海と陸と空から行われてわずか数ヶ月の間に20万人の市民、兵士が日本、アメリカ軍を問わず犠牲になった。

沖縄と広島、長崎の原爆は切っても切り離せない一連の戦争の結果である。

この映画を観て、そのことを感じ取って欲しいと願った。





多くの実行委員が動き、また協力者の皆さんが動いてくれた。宣伝、チケット販売、小さなうねりといっても過言ではないと私は思っている。

戦争は政策、人間が行う人災だ。
人間が止められないはずがない。

だが、止めることが遅いと、食い止めることは難しくなる。今のうちに!



  

Posted by たるー2 at 10:42Comments(0)イベント沖縄県人会沖縄文化

2025年02月18日

ヨーテー節でチャレンジ

今年も「けんみん文化祭ひろしま 呉安芸地区フェスティバル」が開かれた。



場所は呉市信金ホール。

世果報会は今年は屋我地島と湧川(今帰仁村)に伝わるヨーテー節と、かいされーを昨年から稽古して来た。

「何故今帰仁ミャークニーではなく?ヨーテー節?」といぶかしる方もいらっしゃるかもしれない。
確かに昨年8月に今帰仁ミャークニー大会が16年ぶりに開催され、注目もされた。

だが、教室で出演するには時間が厳しい。今帰仁ミャークニーはもう少し時間をかけて教室の皆さんと稽古しなくてはと判断した。

ヨーテー節は西武門節のメロディーだから、こちらは教室でも馴染みがある。そして今帰仁ミャークニーと同じように絶滅が危惧されているシマウタの一つだから充分意味がある。

問題は「かいされー」だった。

18名のメンバーが出演することになった。当日は体調が良くなく休んだ方が2名。


近くの公園で声合わせ。公民館などでも出演しているので、皆さん慣れたものだ。


「民謡民舞部門」はフェスティバルの最後の方で、私たち世果報会はトリの一つ前だった。


流石に、呉では有名なホール、音響のセッティングも慣れたもの、そして音が気持ちがいい。

それなりにしっかり唄えたと自負する。
世果報会も稽古を重ねて、チムティーチで臨むことができた。


今帰仁ミャークニーも稽古していこう。  

2025年02月03日

リハーサルから総会、新年会

2月2日は節分だ。


恵方巻きは無し。昔から習慣がない(笑)

そして昨日の午後は近所の上大須賀集会所でイベントが目白押し。


①けんみん文化祭ひろしまのリハーサル【ヨーテー節•かいされー】

②今年の民謡コンクールの説明会


③関 洋民謡研究所の総会


④新年会


美味しいものを頂いて、まったりと話をしながら楽しい時間だった。


今年も楽しく沖縄文化を学び盛り上げていきましょうね。


  

2025年01月30日

ヨーテー節を掘り下げる

昨日は桜坂市民大学でzoom講座として行っている「たるーの島唄深掘り講座」だった。

参加者の方から
「この講座はいつからやっているのですか?」
という質問があった。

2022年の2月から講師をさせてもらっているから、今年で3年目となる。

「こんな講座があることを知らなかったので」
というご意見を頂いた。

私の宣伝も弱いのかもしれない。

今回は「ヨーテー節」を深掘りした。

よく知られている西武門節との関係、
ヨーテー節は屋我地島のモーアシビウタとして継承されて来た。




私の「深掘り講座」では「てぃんさぐぬ花」や「ナークニー」「安里屋ゆんた」や「上り口説」などをこれまで取り上げて、琉球時代のヤマトや中国との関係、庶民の暮らし、江戸上りなどを深掘りしていく。

前々回は、今帰仁ミャークニー大会の報告も兼ねて「今帰仁ミャークニーを深掘り」した。

今帰仁ミャークニーを10年近く調べていくうちに、隣島である屋我地島にはヨーテー節があることにふと疑問を持った。

今帰仁ミャークニーもヨーテー節も共にモーアシビで生まれ育って来たウタ、民謡である。

そこには関連はないのか?と。


また、ヨーテー節を現代でも継承していこうという地域の取り組みがあることも知った。

今帰仁村と屋我地島とは、今はあのワルミ大橋で繋がっている隣合わせの島だ。



今帰仁村には湧川という字がある。そこには湧川ヨーテー節があり、また今帰仁ミャークニーもある。

両方を継承する地域があるのだ。

歌詞も共有されている。


湧川の若者と屋我地島の若者との交流は羽地内海を挟んで行われた。湧川の地域の南には羽地という地域があり、そこには勘定納(かんてぃな、はんてぃな)という米の集積港があった。

その話とヨーテー節は深く関わってくるのである。



折しも昨日は旧暦の正月であったが、これまた偶然なのかどうか知らないが、ジャングリアというテーマパークが今帰仁村に7月に完成するという報道。

自然を生かしたテーマパークだというが。。



どう変わっていくのか。

自然までもがマネーゲームに取り込まれることだけはないように願う。

私は沖縄には「ウタのテーマパーク」というものがあっても良いのではないか、と昔から思っている。それも沖縄県内各地に。



次回の深掘り講座は、少し先になるが、

4月23日19時〜20時30分
桜坂市民大学 たるーの島唄深掘り講座
与那国ションガネーとドゥナンスンカニ



  

Posted by たるー2 at 10:24Comments(0)桜坂市民大学

2025年01月24日

出来ることをできるうちに

3月2日の映画「GAMA 月桃の花」上映と海勢頭豊コンサートまで1ヶ月と僅かになった。

公民館や区民文化センターなどにチラシを設置したり、知り合いに渡したり、新聞の取材を受けたりとして来たが、もっと話題になる宣伝をしたいと思う。

1月22日は核兵器禁止条約発効4周年ということで原爆ドーム前で市民団体などによるキャンドルサービスとアピールが行われた。

そこで是非宣伝させてほしいとお願いし、冒頭で二曲歌わせてもらった。

「月桃」


昨日1月23日は広島市西区の草津公民館で「冬の沖縄音楽コンサート」に招かれた。





満席の熱気ムンムンのご来場の方々に沖縄音楽を楽しんでいただいた。

THE BOOMの宮沢和史さんが作り唄った「島唄」は沖縄での恋をうたったウタのようにも聞こえるが実は沖縄戦の悲しみをうたっている。

デイゴ(デーゴ)は、琉球石灰岩の地中に根を下ろしてと遠くの海と繋がっている、だから台風がたくさん来る時には赤い花をたくさん咲かせる、という言い伝えがある。その話をモチーフにして「嵐」=戦争が繰り返しやってくる、という人々の悲しみとそれでも愛を伝えたいという沖縄の人々の思いを「島唄」に込めたのだと思う。

もちろん自然災害ではない「戦争」は人の力で食い止めることができる。

このウタを原爆ドームの前で唄いながら、改めて核兵器、基地、戦争というものは人間が作り出したもの、そんなものはいらないという単純な平和の理屈を唱え続けることがなによりも大事なんだと感じた。





当たり前のことを、できる範囲で懸命にやる。
それが喜びや平和につながる。

3月2日の成功を目指したい。  

Posted by たるー2 at 11:52Comments(0)島唄広島世果報会

2025年01月20日

中村盛博先生の死を悼む


今朝、広島沖縄県人会から訃報が届いた。

掲載する。

訃報をお知らせします。
広島沖縄県人会顧問 中村盛博さんが1月18日肺炎でお亡くなりになりました。74歳でした。

中村盛博さんは56年前に国費留学で広島に来て、卒業後、教鞭とり、私生活では復帰以前から沖縄県人会の創設に関わり、事務局長、会長を経て顧問として我々会員を導いていただきました。心より、ご冥福をお祈りします。

なお、ご遺族の要望により、家族葬のため通夜、告別式の参列、香典等はご遠慮するとのことです。後日、偲ぶ会を開催します。

広島沖縄県人会事務局長 森根準




「中村先生」と私たちはずっと呼んできた。

三線を始めたばかりで右も左もわからない頃、ひろしま三線クラブで中村先生に教えていただいた。
打ち上げで琉平に行けば、中村先生は必ず三線を弾き場を盛り上げてくださった。

沖縄の基地問題に心を傷められていた。

映画「GAMA 月桃の花」の上映にも積極的に応援してくださっていた。

1月8日に入院先から電話をくださり、年末から肺炎で入院しているが病状が回復していないとおっしゃられていた。

突然の訃報。

立ち止まるわけにいかない。
中村先生のご遺志を受け継ぐ。

3月2日は会場をいっぱいにして中村先生の追悼としたい。
  

Posted by たるー2 at 11:39Comments(0)沖縄県人会

2025年01月03日

謹賀新年2025

謹賀新年 2025年


皆様、明けましておめでとうございます。

昨年は、8月31日に今帰仁ミャークニー大会が16年ぶりに今帰仁村の皆様の力で開催する事ができました。

さらに今帰仁ミャークニーの研究、普及にむけて努力したいと思います。

また、たるー本(「たるーの島唄まじめな研究」)も3月に重版され、新たに宮沢和史氏の帯が本を飾ってくれています。


琉球民謡協会関 洋民謡研究所としては、昨年のコンクールでは最高賞、優秀賞、新人賞の合格者を得て、さらに一昨年の新教師誕生に続き2024年も一人の新教師が誕生しました。

桜坂市民大学での「島唄深掘り講座」も続けさせていただいています。

広島市内や福山市で演奏と講演もさせていただきました。

今年も島唄を知る旅を続けながら、消えていく島唄に目を向け「たるーの島唄まじめな研究」と三線と共に各地にもお邪魔していく所存です。

そして島唄を愛し、学ぶ皆様のご多幸を祈念します。

      たるーの島唄まじめな研究
               たるー/関 洋


  

Posted by たるー2 at 10:44Comments(0)想い