2025年05月06日

フラワーフェスティバル2025

広島フラワーフェスティバル、5/3から3日間、昨日終わった。



今年に入ってから、広島沖縄県人会と役員会で準備をしてきた。



今年も沖縄そば、ゴーヤーチャンプルーをはじめ泡盛、オリオンビールなどなどを販売した。



5月2日からゴーヤーやネギの仕込みを行い、3日から三日間毎日朝6時30分に集合、夕方まで休みなく皆さんと一緒に働かせてもらった。



かくして広島沖縄県人会の最大のイベントが終了。多くの出会いあり、旧交温めた時間もあり、かけがえのない時間でした。

「沖縄出身でないのに何故?」とたまに聞かれる。

沖縄文化を広めたい、その良さ、素晴らしさは世界的価値があると信じて、沖縄民謡を学ぶ前から関わってきた県人会活動だった。

その後多くの沖縄の先輩方や研究者たちから教えられ、沖縄民謡を教える立場の末席に少しだけ座らせていただき、改めて沖縄文化を大切さを日々学ばせてもらった。

私は宮崎出身であると同時に、宮崎にも沖縄や奄美出身の方々が多く住まわれ、私の同級生にも2世が多くいた。

私はウチナーンチュ(沖縄出身者)ではなく、あくまで宮崎出身者として「沖縄文化を広めていく」、おそらく死ぬまでこの姿勢は変わらず続けていくと思う。  

Posted by たるー2 at 09:07Comments(0)島唄料理イベント沖縄文化

2025年04月13日

ヨーテー節が生まれ唄われた地域


▲嵐山というところから眺めた羽地内海、屋我地島、正面にワルミ大橋が見える。今帰仁村と屋我地島を結ぶ道路だ。

先日も書いたジャングリアというテーマパークの周辺は、まさに昔、今帰仁ミャークニーやヨーテー節などが青年たちによって唄われた地域だった。上の嵐山はジャングリアの入り口のすぐ近くだ。

そこは美しい自然と人々の暮らしが一緒に共存しているような地域だ。

それらの民謡が歌われた頃の地域の情景を少しだけ想像してみたい。



▲ヨーテー節が盛んに唄われた屋我地島にある「朝凪と夕凪〜」の歌碑「平松の碑」。昔は琉球松が生い茂っていたこの地域は、若者たちのモーアシビの場だった。

音に響まりる平松ぬ下や 昔若者の遊び所
◯有名で名高い平松の下は 昔若者たちが遊ぶ所だ

そのヨーテー節を聴いてもらいたい。



今帰仁ミャークニーだけではなく、今帰仁村湧川ではヨーテー節もまた唄われていた。

シマ寄しり寄しり 湧川シマ寄しり シマぬ寄しらりみ アバ小寄しり
◯村を寄せろ(近づけろ)寄せろ 湧川の村をこちらに寄せろ 村が寄せられるか?無理だろ。娘を寄せろ

今でもナークニーで唄われる歌詞だが、今帰仁ミャークニーでもヨーテー節でも唄われていた。

なぜ「シマを寄せろ」というのか?
それは羽地内海を挟んでいた地域間の交流(男女の行き来)があったからだ。



羽地内海を挟んで今帰仁村と屋我地島は間切(マジリ、琉球王朝時代の行政区分)が異なったとはいえ若者たちによる交流が盛んだったことがうかがえる。

ヨーテー節が琉球王朝時代から唄われたことの証拠の一つが「ハンティナ」を巡るこの歌詞だ。

昔ばんしんか ハンティナにうりてぃ ティンマ漕じ出ぢゃち 屋我地渡らヨーテー
(ジント一屋我地渡らヨー)
◯昔(私たちの)仲間が勘定納に降りて天馬船漕ぎ出して屋我地島に渡りたい

この勘定納、ハンティナとはなんだろう。

ハンティナとは

上のヨーテー節の歌詞では「勘定納」と書いて「ハンティナ」と読んでいる。
場所は今帰仁村の南隣にある羽地の仲尾村にあった。

その由来は「王府時代に仲尾村に定物蔵(公庫)が設置され、上納米を勘定することに由来」(名護大百科事典)。
1609年の薩摩藩侵攻以降、薩摩藩は琉球王府にたいして米などの上納を義務付けた。
そうした米のことを仕上世(しのぼせ)米と呼んだ。この仲尾には勘定納という仕上世米の集積場があり、また近くには羽地の一大米の生産地があった。

ハンティナには琉球各地から人夫があつまっていたという。

番所にあつまった人夫である青年たちは「ばんしんか」(番所の臣下=仲間)と呼ばれた。



我部のみやらびのうたにうちふりてぃよ 羽地ばんしんか 毎夜通てぃ
◯屋我地島の我部の娘たちの歌声のすばらしさに恋をして、羽地の番所にあつまった若者たちが羽地内海を渡って屋我地島へ。

屋我地島には山がない。しかし対岸の湧川には山があり王朝時代から王朝はこの山を保護し、一部は庶民が薪を集めることが許された。

屋我地島の娘たちが薪を取りに羽地内海を渡り湧川にきていたこともわかっている。

豊かな米の生産地、そしてハンティナ、薪をとりに来る娘たち。
そして美しい海、自然。
ウタが生まれる要素が大いにある。

ヨーテー節はこうした背景の下で、若者たちが集まり交流することで生まれ育ったのだった。

もし、ジャングリアが、昔のように若者たちを集めてくれるならば、そして同時に、ウタが生まれひろがっていくならば良しとしよう。

そうなるか、ならないか、これもまた人々がなすことだ。
  

Posted by たるー2 at 14:27Comments(0)想い

2025年04月12日

ジャングリアとシマウタ



今、沖縄北部の今帰仁村に巨大なテーマパークが作られている。7月にオープンするらしい。その名は「ジャングリア」、お聞きになったことはあるだろう。色々な話題を振りまいている。



その場所というのが、私がこれまで関わらせてもらった今帰仁ミャークニーの故郷、今帰仁村の南に位置している。



ジャングリアがどうなのか、そんなことはさておき、その辺りで唄われていたものが今帰仁ミャークニーとヨーテー節なのだ。

ジャングリアに行かれた方、興味ある方は、その周辺にある今帰仁ミャークニーやヨーテー節に関係する土地にも足を運んでくれるとありがたい。

決して周辺の静かな、美しい自然を踏み荒らすことだけはやめて欲しいとねがうばかりだ。


  

Posted by たるー2 at 11:55Comments(0)島唄想い

2025年04月12日

桜と春のイベント



近所の公園で世果報会の花見をしてきた。



一年に一度だけでも桜を見ながらの宴会ができるということは、やや大げさに言えば「生きている証」に近い。

一年色んなことがあり、それをなんとか乗り越えてこれた喜びを発散する、そんな気持ちだ。

3月30日もイベントのダブルヘッダーだった。



海田町の祭り「海田市祭り」に参加し、午後は広島駅地下へ。



琉呉太鼓さんたちとのコラボもダブルだった。


どちらもお客様は大喜び、エキチカ(駅地下)のステージではお客様も一緒にカチャーシーを。



Lova & Peace Hiroshimaというイベントだったが、無事終わり桜を迎えられたことを喜びとしたい。

  

Posted by たるー2 at 10:08Comments(0)イベント

2025年03月27日

楽しみな春到来!



生暖かい朝。散歩を久しぶりに再開。



桜が咲き始めている。

早咲きの桜や、枝垂れ桜、場所によっても開花のタイミングは変わるが、だいたいこの時期だ。

温暖化の影響が気になる。
3月からこんなに暖かいと、夏はどうなるのだろう、と。


まずは花見を楽しみたい。
コロナ禍ではできなかったし、昨年もまだ遠慮していた。

我が三線グループ、世果報会は4月6日を予定している。

楽しみだ。

楽しみといえば、今週末3月30日は、海田小学校と広島駅地下の通称「ヒロチカ」で演奏させてもらう。


▲海田小学校での「海田市祭」、毎年出させてもらっている。11時すぎからの出演。
琉呉太鼓さんの演舞やコラボもある。


▲同じ日の午後14時45分くらいから。
同じく琉呉太鼓さんの演舞、コラボもある。

広島駅ビルのminamoaとしてのオープンも重なって、どんな人手になるのだろうか。



是非、こちらもお楽しみに!  

Posted by たるー2 at 09:36Comments(0)イベント

2025年03月17日

世果報会



私の指導させてもらっている三線教室を「世果報会」(ゆがふかい)と呼ばせてもらっている。

地域の祭や公民館の行事、イベントなどにお呼びがかかると、メンバーの中から5、6名から10数名が参加している。


▲草津公民館での「冬の沖縄音楽コンサート」。


▲3月2日映画「GAMA 月桃の花」海勢頭豊さんコンサートでの一幕にお邪魔した。


▲原爆ドーム前での核兵器禁止条約の批准を求める集まりにも三線を持って。
「月桃」を歌わせてもらった。


先週土曜日は、西区民文化センターでの「高齢者の集い」に招かれて、横川三線教室のメンバー、そして世果報会のメンバーで1時間ほど演奏した。



広島で三線教室を始めてから20年は過ぎた。
多くのメンバーが舞台でも演奏できるようになり、広島で沖縄音楽を広めていくことに少しは貢献できると思っている。

これからもこうした活動を続けていくと同時に、琉球使節の足跡が残る広島の地域と結んだ演奏活動や、広島と沖縄を結ぶ平和の取り組みなどにも関わり続けて行きたい。
  

2025年03月13日

喪失感

Facebookを騙るメールがよくきていた。
無視していたが、ついパスワードを変更した途端に、「関 洋」のアカウントが乗っ取られて、2度とログインできなくなった。

何年Facebookをやってきただろうか。
あっという間に全て消え去った。

「たるーの島唄まじめな研究」本のページや、琉球使節の足跡のページ、三線教室のページもなにもかも。

喪失感というより、あ、人の生き死にってこんなものなのかも、とじわりと感じた。
東日本大震災やすべての災害はこのように全て奪い去っていったのだろう。戦争もしかりだ。

だが私は生きている。
たかだか電子上の出来事。
大震災や戦争などと比較にもならない。

だから、歩みは止めないし、また時間はかかるが再建していこう。むしろワクワク感すら感じる自分を褒めたい。



「Hiroshi Seki」で再スタート。
お気づきの方は「友達申請」してください。
私からの申請があればよろしくお願いします。  

Posted by たるー2 at 08:13Comments(0)島唄

2025年03月10日

3月2日ヒロシマとオキナワを結ぶ



こんなにお客様でいっぱいになるとは、実行委員の誰も想像できなかった。



映画「GAMA 月桃の花」の上映と海勢頭豊さん達のミニコンサートが3月2日に広島YMCA国際文化ホールで行われた。

昨年9月に実行委員会を立ち上げ、広島県教育委員会の後援、広島沖縄県人会が共催することになった。

チラシを広島市や周辺の各公民館に広く置いていただいた。


映画「GAMA 月桃の花」の映画は私の三線教室ではほとんど観た人がいない。

あの「月桃」ですら、この映画の主題歌であることも知らない方が多い。


戦後80年ということ、昨年2024年にノーベル平和賞を被爆者団体協議会が貰ったこともあり、今年は広島でも平和のイベントが多く行われる。

でも、目を向けるとアメリカの核兵器は沖縄をはじめ本土にも広く持ち込まれているという(アメリカは「あるとも無いとも言わない」)。

戦後80年は沖縄も同じ。そして唯一の地上戦があの美しい海と陸と空から行われてわずか数ヶ月の間に20万人の市民、兵士が日本、アメリカ軍を問わず犠牲になった。

沖縄と広島、長崎の原爆は切っても切り離せない一連の戦争の結果である。

この映画を観て、そのことを感じ取って欲しいと願った。





多くの実行委員が動き、また協力者の皆さんが動いてくれた。宣伝、チケット販売、小さなうねりといっても過言ではないと私は思っている。

戦争は政策、人間が行う人災だ。
人間が止められないはずがない。

だが、止めることが遅いと、食い止めることは難しくなる。今のうちに!



  

Posted by たるー2 at 10:42Comments(0)イベント沖縄県人会沖縄文化

2025年02月18日

ヨーテー節でチャレンジ

今年も「けんみん文化祭ひろしま 呉安芸地区フェスティバル」が開かれた。



場所は呉市信金ホール。

世果報会は今年は屋我地島と湧川(今帰仁村)に伝わるヨーテー節と、かいされーを昨年から稽古して来た。

「何故今帰仁ミャークニーではなく?ヨーテー節?」といぶかしる方もいらっしゃるかもしれない。
確かに昨年8月に今帰仁ミャークニー大会が16年ぶりに開催され、注目もされた。

だが、教室で出演するには時間が厳しい。今帰仁ミャークニーはもう少し時間をかけて教室の皆さんと稽古しなくてはと判断した。

ヨーテー節は西武門節のメロディーだから、こちらは教室でも馴染みがある。そして今帰仁ミャークニーと同じように絶滅が危惧されているシマウタの一つだから充分意味がある。

問題は「かいされー」だった。

18名のメンバーが出演することになった。当日は体調が良くなく休んだ方が2名。


近くの公園で声合わせ。公民館などでも出演しているので、皆さん慣れたものだ。


「民謡民舞部門」はフェスティバルの最後の方で、私たち世果報会はトリの一つ前だった。


流石に、呉では有名なホール、音響のセッティングも慣れたもの、そして音が気持ちがいい。

それなりにしっかり唄えたと自負する。
世果報会も稽古を重ねて、チムティーチで臨むことができた。


今帰仁ミャークニーも稽古していこう。  

2025年02月03日

リハーサルから総会、新年会

2月2日は節分だ。


恵方巻きは無し。昔から習慣がない(笑)

そして昨日の午後は近所の上大須賀集会所でイベントが目白押し。


①けんみん文化祭ひろしまのリハーサル【ヨーテー節•かいされー】

②今年の民謡コンクールの説明会


③関 洋民謡研究所の総会


④新年会


美味しいものを頂いて、まったりと話をしながら楽しい時間だった。


今年も楽しく沖縄文化を学び盛り上げていきましょうね。